この世の中に正解なんてあるのか
先日、母から身内に不幸があったと連絡が入った。母の母、祖母だった。
最初に聞いたとき全く理解できなかった。
私は親元を離れ下宿しているため、なかなか会えないのだ。
最後にあったのはたぶん夏休み。
最後に祖母の話を聞いたのはお正月。
今度いつ会えるのかわからないから、祖母に会うときは誘ってくれと母に伝えていたが、予定が合わず会えなかった。
祖母はいつ会ってもニコニコ笑ってるし、冗談だって言うし、何でもかんでも笑い飛ばす素敵な人なのだ。誰が話しても祖母の話題は、可愛らしく笑えるものばっかりだった。
そんな祖母の死。
信じることなんてできないし、
受け入れられるハズがない。
「嘘だよ」なんて言って起きてくるんじゃないかと今でも疑ってるくらいだ。
祖母が亡くなった日、今まで何ともなかったのに、急に頭が割れそうなほどに痛くなり、体調を崩した。
事が起こってからだと、何とでも言えるが、よくない事が起こる前ブレだったのかなと思う。祖父が亡くなる前には、髪のゴムが切れたことがあった。
そうやって、何らかの形で知らせてくれているのかもしれない。でも、そのメッセージの受け手はそんなこと思ってもないし、思いたくもないし絶対に気付かない。もし気づいたとしても、神様じゃない限り、何もできない。助けることができない無力さを思い知るだけだろう。変えられない運命を嘆くだけ。
そんなことも故人は、考慮して知らせてくれるのかもしれない。
人の死は本当に突然訪れる。
祖母は別に病気だったわけじゃないし、年の割には元気だった。
だからこそ、誰に対しても思い残すことのないように接するべきなのだ。誰に対しても愛情をもって。
いつかは自分にだって人生に終わりは訪れる。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。
生きている限りたくさんの選択をし続けなければならない。通学する学校、職場、友だちや家族との約束も。話題だってそうだ。何もかも選択して生きている。
でも、その1つ1つに正解なんてあるのか。
人生に正解なんてあるのか。誰が知ってる?
きっと誰も知らない。知ることなんてできないのだ。だからこそ、必死になってもがく。
頑張っても頑張っても、どうにもできないこともたくさんある。でも、だから、その過程が大事なのではないか。
祖母はもうこの世にはいないが、これまで祖母との思い出はたくさんある。一緒に遊んだこともあるし、祖母のお手伝いをしたことだって。私と祖母が築き上げてきた関係こそが大切なのではないか。
祖母は存在しないが、私が覚えている限り、永遠に生きている。思い出は永遠に残る。
それでもやっぱり、会いたいと願ってしまう。
それでもまだ祖母に目を覚ましてほしいと願ってしまう。
無理にでも会いに行けばなんて、今更ながら後悔してしまう。
やっぱりこの世には正解なんてない。
どんなに理屈っぽいことを言っても悲しいものは、悲しいのだ。